1970年代から今日まで続く日本の〈アートハウス〉は、“ミニシアター”という呼称で親しまれてきました。ここは世界中の映画と刺激をもとめる観客とが出会う場所。多様な映画体験によって、未来の映画作家だけでなく、さまざまなアーティストを育む文化的ビオトープとしての役割を担ってきました。上映されるのは、ただ楽しむための作品だけではありません。目を覆うほどグロテスクで、心をズタズタに引き裂く映画もあれば、ため息が出るほど美しい眼福の映画もあります。〈アートハウス〉の暗闇でスクリーンが反射する光を浴びることは、多かれ少なかれ——私たちの生き方を変えてしまう体験なのです。
「現代アートハウス入門」では、〈アートハウス〉の歴史を彩ってきた傑作を「ネオクラシック(新しい古典)」と呼び、東京・ユーロスペースなど全国18の映画館で、7夜連続日替わりで上映します。さらに、2000年以降にデビューした気鋭の映画作家が講師として登壇し、各作品の魅力を解説。作品から受けた影響なども語ります。その模様を開催劇場のスクリーンに投影、みなさんとこれからの〈アートハウス〉についての知見を共有します。ぜひこの機会に〈アートハウス〉のドアを開けてみませんか?
内戦終結直後の荒れ果てたスペイン、カスティーリャ高原の小さな村。移動巡回上映で見た「フランケンシュタイン」を精霊と信じた少女アナは、村はずれの廃屋で傷ついた一人の兵士と出会う…。アナを演じた当時7歳のアナ・トレントのイノセンスは、見る人の心をとらえてはなさない。名匠ビクトル・エリセの長編第一作にして、映画史に刻まれたあまりにも美しい傑作。
映画館でのみ感知することができるような、映画の「ささやき」があります。
それを殊更聞こえやすくすることはできませんが、一緒に耳を傾けようと誘うように話したいなと思ってます。
学生時代、これと決めた特集上映に日参してはその晩、映画日記をつけたり、友人と朝まで長話をした。
そうやって何度も反芻したあの場面やあのカットに今でもふと救われたり、悩まされている。
第二次大戦直後のロシア。収容地帯と化した炭鉱町に暮らす少年ワレルカ。無垢な魂を持て余し、不良ぶっては度々騒動を起こす彼を、いつも守護天使のよう救ってくれる幼なじみの少女ガリーヤ。二人に芽生えた淡い想いは次第に呼応していくが、放校されたワレルカが町から逃げ出すと、運命は思わぬ方向へ…。54歳の新人監督とレンフィルムが生んだ心揺さぶる映画の奇跡。
『動くな、死ね、甦れ!』をどう言葉で表したらいいのか現時点ではさっぱり分からないのですが、とにかく一人でも多くの人に観てもらい映画の持つ力を体感して欲しいです。
ポルトガルを代表する現代詩人であり、マノエル・ド・オリヴェイラ監督『春の劇』の助監督を務めたアントニオ・レイスが、精神科医のマルガリーダ・コルデイロと手がけた初長篇。ポルトガル北東部ミランダ地方の生活の細部を記録した画面に、やがて夢幻的なイメージが横溢する。公開当時、フランスの批評家たちを驚嘆させ、後にペドロ・コスタ監督にも影響を与えた伝説的フィルム。
二十歳を過ぎてはじめてシネコン以外で映画を観た。
大丈夫、世界にはまだ余白があった。
このだるさからいつか抜け出し、もう少し遠くまで歩けるかもしれないと、スクリーンを見つめながら思った。
太陽が沈む瞬間に放たれる緑の光線は幸運の印。オフィスで秘書として働くデルフィーヌは、ヴァカンスを前に胸をときめかせるが、現実は思うようにはいかない。ひたすら愛の訪れを信じて夏の光に彩られたフランスを北から南、東から西へと彷徨う彼女が最後に出会う奇跡とは…。1986年ヴェネチア国際映画祭金獅子賞受賞した巨匠エリック・ロメール「喜劇と格言」シリーズの一編。
中学3年生のときにテレビで見た一本のヨーロッパ映画に衝撃を受けて自分の人生は激変しましたが、大人になりそれをミニシアターのスクリーンで見直したとき、その作品の真価をようやく知ることができました。
画集に印刷された絵画と実物のそれが違うように、映画もまた映画館で見てこそ味わい尽くせるものだと思っています。
下界から隔絶されたアルプスの山腹で自給自足の生活を送る4人家族。姉と両親の愛情を一身に受け育った聾啞の弟が家を飛び出し、山小屋でひとり生活を始めると、やがて姉の妊娠が発覚し…。狂おしいほど雄大な自然の懐で紡がれる、創世神話的な物語。“ヌーヴォー・シネマ・スイス”の旗手としてダニエル・シュミットらと並び称されるフレディ・M・ムーラーの伝説的傑作。
いい映画をみた時、衝撃や刺激を受けるというより、息をするのが、生きるのがほんの少し楽になるという表し方が自分にとってはふさわしい。
それは既にある理解や感覚を超えた世界をみせられたことに不安になるからではなく安堵するからに他ならない。
日本海に注ぐ阿賀野川。その川筋に住み込んだ佐藤真ら7人のスタッフは、田植えを手伝い、酒を酌み交わしながら、阿賀で暮らす人々の生活を3年間にわたり撮影した。新潟水俣病という社会的なテーマを根底に据えながらも、人間の命の賛歌をまるごとフィルムに写し、当時としては異例ともいえるドキュメンタリー映画のロードショー公開がシネ・ヴィヴァン・六本木で実現した。
何をどう撮ればいいのかわからなくなったとき、20年前につくられた一本の映画と出会い、背中を押されました。
何年経っても現在を映し出す作品たちが、きっとこれから出会う人たちの未来を切り開いてくれるのだろうと思います。
マサチューセッツ州ブリッジウォーターにある精神異常犯罪者矯正施設の日常を克明に描き、収容者が、看守やソーシャル・ワーカー、心理学者たちにどのように扱われているかを浮き彫りにした本作は、完成一年後の68年から91年までの間、裁判所命令によって一般上映が禁じられていた。フレデリック・ワイズマンの監督デビュー作にして、アメリカン・シネマ・ヴェリテの金字塔。
映画館の暗闇を一歩出たときに、世界の見え方が一変してしまう。
アートハウスで、そういう体験を何度もしてきた。
僕が映画作りで目指すのも、観客にそういう体験をしてもらうことである。